ドキュメンタリーにも、科学にも、リテラシーは必要

 ドキュメンタリーに携わる人までが「ありがとうという言葉をかけた水の結晶は美しくなる」という説を受け入れてしまう...

 オウム真理教信者の内側から撮ったドキュメンタリー映画「A」、「A2」などで知られる森達也氏。この方による講演「ドキュメンタリーとジャーナリズム」を聴講。早稲田大学大学院政治学研究科科学技術ジャーナリスト養成プログラムの第5回MAJESTyセミナーによる。

 「ドキュメンタリーは嘘をつく」を上映後、1時間弱の講演*1、1時間弱の質疑応答。

【以下は、森氏の考えを正確に記述していると保証するものではなく、文責は筆者にある。】

 講演では、メディア・リテラシーとは何か始まり、メディアについて1895年ルミエール兄弟の映画、1920年米ラジオ放送開始から説き起こす。第2次世界大戦におけるメディア利用を説明。戦後に登場した 映画と通信(ラジオ) が合体したテレビのことを、「メディアの大量破壊兵器」と形容。

 テレビにリモコンがもたらされたことによるザッピング視聴が、単純化・簡略化という現在のテレビ番組の特徴を決定づけた、と指摘。

 第二次世界大戦におけるメディア利用と現在の状況は似ているのではないか、小泉政権に見られたワンフレーズ・ポリティクスは今日のメディア環境の単純化・簡略化に適応したもの、と射抜く。

 そうではあっても、そのような世界に対して抗していくためには、やはりメディア、ドキュメンタリーに期待するしかない、と表明。

 ドキュメンタリーについて、公正中立、「不偏不党」という放送法のドグマを批判(吟味)。公平中立という言葉は正論であり、反論ができなくなる。*2

 中立とは、理論的には A地点 と B地点 の間の C地点 が中立ということになるが、そもそもA地点、B地点とは何なのか、D地点だってあるかもしれない。こうなると、公正中立という言葉には論理矛盾が出てくるのではないだろうか。
 ドキュメンタリーによる、撮影、編集、演出、再現はウソなのか。いくつかの事例が挙げられる。その中には、沖縄の島の旱魃を描いた「水と風」も出てきた。*3

 ドキュメンタリーに関わる森氏が、科学技術に関して言及したのは、横田めぐみさんのものとされていた「遺骨」のDNA鑑定(2005年)について、雑誌ネイチャー(あのnatureです)による日本政府に対する批判。

 DNA鑑定については広く知られているのに、一方で、科学を自分の都合のよいように扱っているのではないかという疑念に対して政府が背を向けていることが世に知られていない、ということについて警鐘を鳴らす。*4

 質疑応答も活発に行われ、早稲田大学、慶応大学、東京大学九州大学、複数の会社員から質問が。公共放送 NHK についてどう思うか、というものも。これに関する彼の答えは、NHKよ。あなたたちこそが本来のオルタナティブなのだ日放労ウェブ)で著されている。

 インターネットの持つ危険性として、ネットで言及されているかと言ってそれが本当のことかどうかは実はわからない、ということを森氏は述べていた。具体的には、ゲーリングの語録とされるある文章*5について、インターネット上で検索すれば彼の言であると言うようにいくつもヒットするが、それについていざ裏を取ろうと出典を探そうとしても実際にはできない、もしかするとその文章は都市伝説ではないのか。本当かどうか、いまだに確証が取れない、との由。

 最後の質問は、「(「水からの伝言」など)ニセ科学が一部に信じられてしまっている現状に対して、どのようにしたら正しい知識を世に知らしめられるのか」という趣旨であった。

 それに対する森氏の反応は、水からの伝言に対して「あれってうそだったの」(!)。

 森氏は、しかし、小学校におけるしつけ、道徳でも「水からの伝言」が使われているということを質問者から聞かされると、学校でそのようなことを教えるのは違うだろう、教科書に載せるものではない、という見解を述べた。

 森氏の頭の中に「水からの伝言」が入り込んだのは、某作家による著述がきっかけだったようだが、「水からの伝言」のことを本当にそうであると確信している、というようにも見受けられなかった。(実のところ、私も、真剣には受け止めなかったものの、そんなことをファンタジー的に期待してしまうキモチを以前持ってしまっていたことを、白状する。)

 質問者は、ニセ科学を解く(説く)ために自分自身ではブログを書いているが、それ以上に何ができるか、森氏の意見を聞いたのだが、明快な答えは出なかったと思う。

 ところで、この最後の質疑にあった直前の質疑は、ユーモアを与えることでドキュメンタリーに力をという趣旨であった。このことが、この最後の質疑に対する何らかの一歩にはなるのでは。

 すなわち、水からの伝言が成り立つなら、水は人間の言葉を情報として伝達する媒体として働くので大変なことが起きるようになる、d:id:hottokei:20060414 で言及したことのように。

*1:途中、『ショート・ジャーニー』タノン・サッタルーチャウォン 山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞も上映

*2:だからといってそのために思考停止になってよいものか。愛国心、非国民といった言葉が持つ効果と同じ。

*3:テレビの嘘を見破る (新潮新書) テレビの嘘を見破る (新潮新書)今野勉 新潮新書)でも、一頭の牛があまりの乾きのゆえに、ゆっくりと海へ入って水を呑もうとしていたのは、「実は、見えないように牛にロープをくくって、ひっぱったのです。」という記述が登場する。講演では、さらに沖縄へのロケ入り前でそのように脚本が作り込まれていて、引っ張られた牛は血を抜いていた、ということまでが明かされた。

*4:私も知らなかった。このことについて、裏取りとして、d:id:hottokei:20070113#p2 にまとめた。

*5:肝心のその文章について書き留めなかった。重要なことなのでいい加減な記憶ではここには書き起こしません。そのうち、森氏の公式ウェブでもフォローされるだろうか。