文系・理系

 文系・理系という二項対立関係が世に社会的に設定されていることを疑問に思っている。経済学や社会学に関わっている人は、数学や統計を通して思考しているだろうし、そのような人たちが文理対立の構図を好むとは思えない。

 視点を加えて、世に、算数・数学に親しみを感じることができる者とそうでない者、という相補的関係が存在していることも、感覚的に認知されていると思う。このように数理的な関係性は、これら社会的設定と感覚的存在と2つの次元があると捉えてみる。

 数学に関する感覚的存在

   親しめる
     ↑     社
 理  イ│ア  文 会
 系 ←─┼─→ 系 的
    ウ│エ    設
     ↓     定
   親しめない

 さて、文理対立に疑問を呈することは、数学に親しめている者の方がそのように思うことがあっても、親しめない者はそうには思えないままなのではないだろうか。

 ところで、数学教育の欠如が青年期における脳や認知発達に影響するという説をイギリス・オックスフォード大の研究者が提起している。ここでは、脳内物質としてγアミノ酪酸(GABA)の減少が見られるのだという*1
高校で数学を「捨てる」と重要な脳内物質が減少すると明らかに - ナゾロジー
medicalxpress.com

 言い換えれば、人間生理と数理スキルの相関が示唆されているのである。これが本当であるならば、「言葉は左脳優位、空間認知は右脳優位」*2並みのことではないだろうか。

 人間生理と数理スキルの因果関係まで踏み込んでいるものではないと思うが、数学に関する感覚的存在の相補的関係は、かなり根深いものであるのかもしれない。

 そうではあったとしても、このことをもって文系・理系の二項対立を正当化することに、私は与しない。

 そのような二項対立を好んで煽るような人(日本人)がいるとしたら、そのような人は、数学だけでなく、日本語の中で専門的な外来語を用いることや英語や外国語を扱うことにも忌避感を持っているのではないだろうか。

*1:GABAを摂取するとリラックスを示すα派量が増加する、という説から、機能性表示食品のチョコレートも売り出されている。cp.glico.com

*2:www.jst.go.jp