この空の花 そこに、オマージュ返し を 見いだした。
大林宣彦監督の映画「この空の花 -長岡花火物語-」スクリーン&トークスペシャルにて。
全国公開の5月の前の、4月7日に新潟先行封切り。それよりも先に立つ、今回のロケ地、新潟・長岡の初めての上映。私は、3月25日15時からの回の長岡リリックホールで、観賞。
私は、スクリーン最前列席で、上映中、嗚咽し、しゃくり上げてしまった。映画は、まだクライマックスにはなっていない、全体の上映時間の中で折り返しさえしていないというのに。
それでも、私は人目をはばかることなく、感情を爆発させてしまった。
そうしておいて、よかった。
さもなければ、それから先も、この映画に翻弄されて、私はどうにかなってしまうところだった。
時間を巻き戻して、去年の5月。場所は、東京有楽町の映画館、ヒューマントラストシネマ有楽町。
その映画館では、連夜、大林宣彦監督がお勧めの映画を1本上映して、それを挟み込む形で、監督が上映前・上映後にその映画に寄せる想いをコメントする映像を流す、という特集を組んでいた。
その中で、監督本人が舞台に登場するという回もあり、そこに私は居合わせた。
そこでの監督の発言によれば、監督は、2011年の3月11日を大分県での撮影の中で迎えたのだという。
映画を作るものにとって、今回の震災のことが影響しないはずはない
という趣旨のことを言っていた。
その問題に対する監督の回答が、「この空の花」に結実していた。
監督は、回答を作る前に、まず問題を練り上げている。
問題。
それは、10ヶ月前の私が繰り言で書いていたこと d:id:hottokei:20110513 を、あたかも、なぞってくれているようで…。いや、むしろそれを押し広げている。
長岡の町には、かくも豊穣な歴史と物語があって、長岡の人には、ずっと語り継がれているものがある。
長岡花火物語の企画が立ち上げった時、映画を作るにはそれだけで十分だったはず。
ところが、3月11日を境に、世界は一変した。東日本大震災が起こることなど、誰も知る由はなかった。
監督は、それから作る長岡の映画に、あの災害を、被災民を、取り込んでしまった。
それだけではなく、原発も、大手マスコミの在り方も、また、昨今のテレビ番組の作成方法に対するアンチテーゼも、多元連立方程式の形で、精巧に仕立て上げてしまった。
そして、、監督は見事に回答を出した。
とてつもない脚本で。
見たこともない映像表現で。(本当にあんなの!、見たことない。)
加えて、 池上彰的なる解説がいくつも焼き直されている今日のテレビ番組に対するアンチテーゼ。
さらに、地方紙 特に 新潟日報の面目躍如ぶり。
そのように、私は受け取った。
多元連立方程式を解くに当たって、映画は、
ドキュメンタリーの手法と
群像劇の手法と
そしてまた、劇中劇の手法とを
駆使している。
駆使されている映画における構造的な手法は、それ一つだけを取りだしても、巧妙なものなのだが…。
しかし、それが複数折り重なって投入されているこの作品は、映画経験をあまり持っていない鑑賞者にとっては、この映画を理解、解釈していくことを困難にさせてしまうことになるかもしれない。
(私は、何とか持ちこたえながら、観ることができたが。)
映画では、一輪車が出てくる。
半ば強引な気がするのだが、ともかく、一輪車が出てくる。
高校生が夏の制服姿で一輪車の隊列を組んで、すーーーぅと走り抜けていくのが、美しい、印象的。
長岡の町の中を、
信濃川の土手を、
田んぼのあぜ道を、
市民の憩いの川の河原を、
すーーーぅ。
劇中劇の、仮設舞台では、一輪車は、アクロバティックな格好も披露してくれる。
映画では、大林監督は、自身の以前の作品に対するオマージュ、または、パロディまでも、幾重にも、周到に、仕掛けていた。
私が思いつくのは、「転校生」、「時をかける少女(大林宣彦版)」、「さびしんぼう」、「野ゆき山ゆき海べゆき」、「ふたり」、「あした」、「北京の西瓜」、「異人たちとの夏」、「あの夏の日 飛んでろ じいちゃん」、「なごり雪」(実は私は観てないのだが「女ざかり」も、そうなのかもしれない。)
そして、大林監督は、自身に対して以前オマージュされた「時をかける少女」(細田守版)に向けて、 あろうことか、オマージュ返し を、やってのけてるのである。
映画鑑賞の妙は、ここ にある。
知らない人、気が付かない人には、なんてことはないシーンとして流れてしまうのだろう。
けれども、私には そのシーンが、オマージュ返し に見えてしまった。
もっと言えば、私は、瞬間的に さびしんぼう が折り込まれているようにまで見えた。
そのシーンに出くわした瞬間の私は、感極まって、劇場のその場で立ち上がって叫びだしたい衝動に駆られた。
そんなことを現実の私はしていないが、そうしてもおかしくはない精神状態だった。
映画が中盤戦に入るよりも前に、感情を一度爆発させてガス抜きさせておいて、本当によかったと思う。
2時間40分という、編集(削る)好きの監督にしては、やけに長尺の映画、
そのくせ、情報量は、濃密。監督は、学習的意図を込めて、早口と、シーン・カット多用で、てんこ盛りに詰め込んでる。
されど、大林流の禁欲さも、感じ取れるのである…。それはそれで想像力が刺激された。
本当なら、監督は、軍人勅語のことを言うよりも何よりも、山中恒*1の少国民論に立ち入ってもよかっただろう。
昔ガヨカッタハズガナイ: ボクラ少国民のトラウマ (山中恒少国民文庫)
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「禁欲さ」については、もっと書き記しておきたいことがあるのだが、ここでは正反対に、山古志の闘牛が出てきました、いろんな楽器が出てきました、と、いうことを述べることに止めます。
長かった上映が終わった。(けれども、胸の中では、映画は続く。そう、続く…)
長岡リリックホールの会場「シアター」(映画のシアターではなく、舞台としてのシアター)の壇上のスクリーン、銀幕が引き上げられた。
舞台が明るく照らされる。
元木花 こと、猪股南*2が、一輪車に乗って、舞台にすっと現れた。
さっきまでの劇中音楽に乗せて、観客を前にくるくると舞ってくれた。
スクリーンの中の高校の夏制服の姿ではなく、普段着の格好で。
「さびしんぼう」では、富田靖子は二役(ふたやく)を演じ、その両方の役で扮装をしていたのだが、映画のエンドロールになってから、劇中では見せてはいなかった素顔になって現れて、尾道水道の夕陽の中、あの主題歌を披露する。
そんな仕掛けが思い出された。
素顔の猪股南が、黒いかぼちゃパンツから伸びる黒タイツの脚が、ペダルを漕ぐ。一輪車のペダル、タイヤと床から、キュ、キュ、と きしみ が伝わってくる。
さっきまでスクリーンに没入していた私の目の前で、こんなことがかぶりつきで繰り広げられるだなんて…。
もう、ヤラれちゃいます。
そんな一輪車の披露の後に、トークショーが続いた。
トークショーの進行役は、FM新潟千葉暢彦。
自身の母親は石巻に住んでいるという。その石巻の土地で、長岡による打ち上げられた祈念フェニックス花火を母親が電話で報告してくれた、ということに言及。千葉さん自身、この映画とつながっていたのだった。
30日(金)16時放送サウンドスプラッシュでは、監督との対談をノーカットで放送、って、千葉さん、言ってましたけど、饒舌な大林監督を相手にして放送の尺に収まるように済んでいるのか、確認されましたか ww ?
わずかなシーン数にもかかわらず、舞台に登場した村田雄浩 a.k.a. 長岡市長。場内を湧かしてくれました。
もっとも、大林監督は、それに輪を掛けて観客を笑わせてしまいました、例によって、監督おなじみの、あの調子の駄洒落で。
トークショーでは、監督が先日訪れた南相馬で、子ども達が がれき に花を描いているという話が出てくる。
その中で、(おそらく事前打ち合わせにはなかっのたであろう)あるエピソードを、監督は披露する。
そのエピソードに、会場の観客は心を突き動かされるのであるが、感想を求められた 元木花 こと 猪股南 は、しばらく言葉を失って、身もだえせんばかりだった。
その、目の前の、なんという愛おしいさ。
参りました。
封切り前イベントとして上映される映画に、東京から新幹線代をはたいて長岡の会場へ観にやって来た甲斐があったものよ。
大林監督は、トークショーで、長岡や南相馬について語っていたが、広島、尾道については、何も言わなかった。
映画の中では、長岡空襲に関連して、原爆のことが出てくる。広島も、長崎も。
広島に原爆が落ちた後、監督は尾道の自宅で、山陽本線の線路の上を、ピカドンの爆風にやられた人たちの群れが身体を引きずって歩いて行く後継を目の当たりにしていたと言うことがあるのだが…。
そんなことなども、監督はお話ができるはずなのだが、触れずじまいだった。
これは、今回の ロケ地 長岡 を 立てる ための監督流のストイックさから来たものなのか。それとも…。
トークショーも終わった。主催者の新潟県生活協同組合連合から、監督、猪股南、村田雄浩に花束贈呈。
監督は、舞台から下りるときには、右手の指でサバラを、いつも示してくれる。舞台に立った他の人に対して、客席の人たちに対して、そしてスクリーンに対して。
ところが、舞台上のスクリーンは、引き上げられていて、もうなかった。
それでも監督は、いつものように、舞台袖に行く途中で、振り返って、サバラを示すが…
「 … (ありゃ。)」
という様子の監督を、私は見逃さなかった。
チャーミング。
大林宣彦監督、ありがとう。