重力ピエロ

 低温ヤケド警報。

 映画のテーマ「最強の家族」は、
声高に主張されることはないのに
ヒリヒリします。


 プロローグが、フーガカノンのように、映画全体の中で、そしてエピローグで、繰り返される。

 伏線が、近くに遠くに、重層的に、折り込まれる。

 プロットの伏線、
台詞の伏線、
視覚的な伏線、
...。

 それら伏線が、シュルシュルと回収される。これが映画の妙。

 それでも、いくつかの伏線は、回収されることなく放置される。これが、観客の中でふくらみを与えてくれる。

 そう。映画とは、一つの映画として「存在」するものはない、観客の数だけ映画は「成立」するもの。


 クスりとさせるサービス精神も、散りばめられている。

 カット割り、構成の軽妙さ。

 展覧会会場シーン終盤。母の目線を ホンの一瞬 借りただけなのに、「最強の」夫婦、「最強の」親子が、見事に表現されていた。



 久しぶりに映画の試写会、しかも邦画。

 伊坂幸太郎は、初見。これまで、読んだことないし映画化されたものを見に行ったこともなかったが、お世話になった方から「重力ピエロ」強烈プッシュがあったので、足を運ぶことにした。

 邦画なんて、テレビ番組を長尺にしてスクリーンにかけるだけものに成り下がっているぢゃないかという状況に対して、「重力ピエロ」は、よい反例。

 辛口書評家の、文化放送大竹まことのゴールデンラジオ大森望TBSラジオストリームブックレビューの豊崎由美豊崎社長)が、重力ピエロの映画化に賛辞を送っていただけのことはあるのだと思う。

 劇中、ラジオは、効果的な小道具として生きていた。


 あえて難を付けるとすれば。

 映画がクライマックスに向かう中、主人公が走るシーンが緩慢に思えたこと。どうして、そこまで長く走らせなきゃならないの!映画の編集上、この点は、短く簡潔にしても不足はないだろうに。

 このことは、細田守時をかける少女と同じ。どうしていい映画って、いつもこうなってしまうの (^_^;)