correctness ばかりが能でない。

 最近の柳沢発現「問題」と、あるあるのねつ造問題とは、政治的正しさ politically correct と科学的正しさ scientifically correct という点で、同期、共通点が見えて、興味深い。

 さて、除菌効果をうたう商品などの清潔ブームは、無菌状態を作り出す(本当に作り出せるのならば)ことにより、人間のばい菌への耐性を脅かしてしまうのではないだろうか。

 同様のことは、風俗の”取り締まり”にも言えるし、繰り返し議論される平和と戦争の関係にも言えるだろう。

 そして、科学的正しさ、にも言える。

 科学的正しさを追求するあまりに、科学的あやしさからの無菌状態な社会ができあがってしまったら、カルト集団が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するための格好の素地を与えてしまうだろう。

 人間の創造力の源泉は、興味である。そして、ファンタジーに興味を持つことは禁じ得ない。夢見ることがあったっていいじゃないか。でも、だからといって、完全に取り込まれてしまうようなことになってはならない。大事なのはこのバランスの微妙さ。

 そのバランスを保つために必要なことは、生真面目(くそまじめ)になりすぎない、ことであり、ユーモアのセンスを持つこと。