フラガール

 黒いダイヤ掘りを内なる誇りを胸にして代々やってきた地域の人たちが、石油という時代の流れにあらがおうとする。「時代が変わってしまったんだよ」というセリフを耳にして、それを自分の中でちょっと反芻してみる。

 常磐ハワイアンセンターの成立経緯に対して思い入れが個人的にあり、また米国アカデミー賞最優秀外国語映画賞部門日本代表出品ということなので先物買い的に、観に行った。

 映画そのものについては...まー、映画作品としての構成要素は及第点に行っているでしょう。ヒロイン映画としては。

 ただ、観る私の中では、町が時代の中でそれまでの希望が失われてゆき、そして新しい希望をつかもうとすることに向けてどのようにして動機付けがされたのか、を見たかった。

 これまでの私は、時代の波に流されてしまいそうになる経験よりも、私は時代の波にテキトーに乗ってきただけだったかも。自分が時代の波に取り残されるのではないかというときに、自分は自分をどう変化させる変えることによって「自分であること」を維持することができるのだろうか。自分の中でそんな力を養う努力をたゆまぬしているだろうか。
 そのように私が思うことの背景のいま一つは、新興学問領域希望学釜石が研究対象とされているから。そのような点で、この映画には不満を感じる。もっとも、そんな哲学的要素を入れては、映画の商店が拡散してしまって娯楽作品にはならないだろうけれども。