「「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た」 村上宣寛 日経BP社

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

 読んだ私がバカでした、と切って捨てるまではいいませんが。

 単行本としての価値は、ロールシャッハテスト、YGテスト、内田クレペリン検査といった世間で多用されている心理テストに関して、一般向け書籍であるにもかかわらず、それらの原著論文とその執筆者像に迫るという学術書然とした態度ぶりである。要は、わずかな、あるいは偏った標本に基づく統計結果や、統計的には有意でも妥当性に欠く結果が、その後、やみくもに使われているということであるが、それを白日の下に晒そうとしている。

 この本はいくつかの既存心理テストを切って捨てる一方で、それに対する解決策がないままなのは不満が残る。既存心理テストがやみくもに根拠としていた性格特性は幻想であるとして、現代心理学の成果であるビックファイブ理論、すなわち、基本的な性格の次元は、外向性、協調性、勤勉性(良識性)、情緒安定性、知性の5つであるという旨、を紹介している。そこまでいうなら、その理論を踏まえた信頼できる心理テストは設計、利用可能なのか、にまで踏み込めなかったのだろうか。

 本書の紙面からは、著者の人柄の臭いが立ち上ってもくる。このことについては、ここでは深堀りはしない。

 なお、本書では、血液型人間学が、心理テストに対する批判の枕として、原著論文にさかのぼるという同じ包丁さばきによりまな板に乗せられており、これも面白かった。外国由来の心理テストとは異なり、血液型人間学は、関連の原著論文は国内でしか見られない(この本で見る限りでは)。戦前の1933年の日本法医学会総会の場で血液型気質相関説は否定されたという。にもかかわらず、戦後、血液型説は繰り返しもてはやされる。

 この意味で、血液型に関する話しは日本を代表するオバカ学である。もっとも欧米には、占星術というものがあるが。

 人間の興味関心に訴えさえすれば科学的正当性がいい加減にされてしまうという問題も、心理学であろう。いい加減な統計、アンケートがはびこるのは、これに源を同じくする。

 このようないい加減さから逃れるには、やはり、人に対する教育であり、科学的世界観を持つよう努めることである。