原発切抜帖(1982年)

 もんじゅ福島第一のことで国は信用できないって言ういうけど、ナレーターの小沢昭一に「何を今さらおっしゃいますのやら」と諭された映画。

 30年前に作られてた、新聞切り抜きを撮影する形式という実験的ドキュメンタリー映画

 中身は、現在の福島第一のことを、情けなくなるくらい見事になぞるような映画。

 スリーマイル対岸の火事のように報じる一方、敦賀原発原子力船むつの事故を糊塗する政府・役人、原子炉会社と下請け会社。

 同じことを、今でも繰り返してる政府・企業と、そのことの繰り返しを今も見ている、学習しない我々、国民。

 この映画の冒頭は、原発ではなく、広島原爆について、投下翌日と、敗戦後間もない頃の記事を映しだす。このことが、原発切抜帖のための新聞切り抜きを始めた動機だという。

 その原発報道。

 投下翌日は、広島に新型焼夷爆弾というだけの小さなベタ記事。その「焼夷弾」に関する追加記事では、「心得」として白衣着用や初期消火を、と新聞は勧める。

 ところが、敗戦翌日の新聞には、放射能障害に関する研究内容を報じている。舌の根も、筆のインクの乾かぬうちの、この新聞の態度(小沢昭一少国民は、どう思ったのだろうか。)

 あらためて、「国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、一つの政策なんだ」(五木寛之 d:id:hottokei:20110802)を思い出す。

 と、ともに、いったい、新聞は、誤報であったの告知と、そのことの謝罪をしたのだろうか、と気になった。

 原発切抜帖では、原発事故(敦賀だったかな、記憶が定かでない。)について捜査当局への「告発」が検討されているという新聞記事も、映し出している。

 上杉隆は、福島第一原発について「なぜ東京地検特捜部東京電力本店を家宅捜索しないのか」と主張*1しており、そのような追求をしない大マスコミを批判しているが、過去の事故では、告発をしようという動きはあったのか、と思う。

 なお、実際には、報じられたような告発はなく、事故から半年後に運転再開、という記事が映される。ああ。

 新聞記者も乗船していた原子力船むつの原子炉からの放射線漏れ。そのための対策として繰り出されたのは、ホウ素入りおにぎりやペレット詰め古靴下を投下するという稚拙な作戦の報道。

 いや、稚拙だなんて、今の我々が言えるものだろうか。福島第一原発における、陸上自衛隊ヘリコプターによる上空からの水投下。汚染水漏れ対策として、経路特定のための色つき入浴剤投入、見つかった亀裂には新聞紙おがくず投入。

 笑えない。