大日本帝国の方が今のお上よりマシ。(野坂昭如)

 日経8月6日から。

 語弊があるかもしれないが、昭和二十年の焼跡は、いっそあっけらかんと明るい印象だった。この度は違う。先が見えず、立ち尽くすしかない。ため息すら出なかっただろうと思う。

 戦中、戦後、しばらくすべての日本人の置かれた状況は似ていた。…
 親戚、縁者、知人との間で焼け出されたらお互い面倒をみる。避難先のとり決めがされていた。平成の世は、毛布一枚。水とパンで過ごす被災者を、飲み食いしながらテレビで眺める。時代の違いといってしまえばそれまでだが、この状態は海の向こうの戦争を眺めるのに似て、つまり他人事。

 空襲で焼け出された人たちは、すぐ握り飯にありつけた。罹災(りさい)証明書も間をおかず手にし、これがあれば汽車の切符が買え、特配も貰(もら)えた。この点だけでいえば、大日本帝国の方が今のお上よりマシ。

 野坂昭如の言葉は、3日に引用した五木寛之の「山河破れて国あり」の寄稿と符合する。また、二人の最終段落も、互いに符合する。

 平和を唱えていれば生きていける。その平和な国で、自殺者は増え、食いものは危っかしい。空気は汚染され文化伝統は薄れるばかり。豊かさと引き換えに失ったものは大きい。この度の震災は国難に違いない。今こそ、日本人一人一人が立ち止まり、考える時である。
(野坂)

 だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。最近出した『きょう一日。』(徳間書店)という本に込めたのは、未来への希望が語れないとすれば、きょう一日、きょう一日と生きていくしかないという実感です。第一の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない
(五木)

 一言では言えない経験をされてきた五木氏、野坂氏らの言葉は重い。

 しかし、これからの地球を支える若い世代は、下を向いてばかりもいられない。(BGMに、「愛をもういちど谷山浩子