HOUSE ハウス

 http://www.eigeki.com/obayashi/index.htmlの企画により、http://www.ttcg.jp/human_yurakucho/でのナイト上映。

 ハウスは、大林宣彦のビッグバンであり、戦後の日本映画再生のビッグバン。

 尾道三部作を観てから二十有余年。大林宣彦商業映画第一作のハウスを初めて観た。そのハウスをスクリーンで観られたことの幸せ。

 公開は、1977年。

 前日の鴛鴦歌合戦(1939年マキノ正博)同様、古いものほど新しい。いくつもの発見があった。そして、鴛鴦歌合戦のように、現場の活気と勢いがフィルムのコマ間からにじみ出ている。

 ハウスは、「映像の魔術師」大林宣彦のテクニックのカタログ。

 ハウスは、時をかける少女に向けた習作のようにも思えた。理科実験室、コマ落とし撮影、恐い細長振り子時計、撮影フィルムに光学的処理を施すオプティカル技術による異空間の演出。

 ハウスは、転校生の前哨のようにも。階段から、転げ落ちるのではなく、ここでは滑り落ちる。少女裸身。

 ハウスには、さびしんぼうの片りんまでも見いだせる。一眼レフカメラNikon FE-2ではなく、Pentax異人たちとの夏では冒頭にPentaxが出てた))、ピアノ曲連打の中に別れの曲の小節が入ってた。

 時をかける少女をリメークした細田守は、その次作サマーウォーズでハウスに対してオマージュをしていたのだった(学校から駅、鉄道、路線バス、大屋敷、という場面転換)。

 ハウスは、TIGER & BUNNYタイガー&バニー)やPOM Wonderful Presents: The Greatest Movie Ever Sold のような、ad placementの走りでもあった。

 ガリ役、松原愛大林宣彦の舞台対談。

 着物姿の松原愛の新曲「ふたりの時計」のミュージックビデオ。大林宣彦が大分で4日間で撮影(クランクアップは、2011年3月11日)したものを館内でビデオ上映。映画「なごり雪」の舞台がいくつか出てくる。雪子の家も。

 松原愛さん、大林宣彦作詞の「ボク女だぞ」(1976年)リリースから、35年経ってもなお、着物、生歌で、愛くるしく歌唱。女の人って、いくつになっても、かっわいいんだなぁ。

 「転校生」(1982年)の劇中のあのシーンの下敷きが「ボク女だぞ」の中にあることを、聴いてる途中で発見。これには、震え上がった。大林監督が作詞の中に入れたモチーフは、その6年後に、極めつけのあのシーンの中に形で実写化させていたのか。

 ここにも、大人になってから結実させた、少年の頃の大林監督の想い。

 舞台では、監督は、東日本大震災の被災後を、戦後に例えていた。御厨貴もそんなことを言っていたが、大林宣彦も同意見のようだ。

 映画は、今回の震災のことが影響しないはずはないという。(世界的イベントが色を落としたことと言えば、「北京的西瓜」を思い出したが、監督からの言及はなかった。)

 監督曰く、3.11後に「野ゆき山ゆき海べゆき」を観て、ようやく棒読みセリフ映画のこの意義を見いだした、と。

 監督曰く、山田洋次は、本当はこの5月にクランクインする映画があったのだが、3.11のために、10ヶ月延期して、日本が3.11をどう捉えるのかを見極めてから、改めてくランクインをする、との由。

そして、監督自身、この1週間の映画の名前を挙げて振り返り;尾道三部作(「転校生」、「時をかける」*1、「さびしんぼう」)、「彼のオートバイ、彼女の島」、「野ゆき山ゆき海辺ゆき」、「鴛鴦歌合戦」、「ハウス」;自分自身にも震災後の新たな製作意欲を表明した。

 大林宣彦が、これから戦後日本を描くなら、山中恒さん再び、を期待したいな。山中恒さんの少国民ものの引き出しを今こそお願いしたい。

 東日本大震災後の今のことを、私は、災害よりも、人災という点で、先の大戦のことを思う。

 すなわち、官・報一体の大本営発表という点で、先の世界大戦と、震災・原発災害は、共通点があるのではないか。

 日本の映画界は、会社制だった監督人材プールを、インディーズの大林宣彦の「ハウス」に委ねた。その解放で、日本映画は、新たなステージに移行した。

 しかるに、日本のジャーナリズムはどうだろう。記者クラブはいまだにフリーランスらに対して排他的。

 そうしているうちに、原発放射能汚染に関する、嘘か誠かマコトかウソか、の報道が続いている。

 大林宣彦でなくても、映画はそのタネとして、叙情ものだけじゃなくて、ドキュメンタリーという語り口もあるのだが、何か脚本の企画でも打ち出してみたい。

*1:時をかける少女」とフルでは言わなかった、この時、監督は。