鴛鴦歌合戦

 「おしどりうたがっせん」、と読む。1939年作品。マキノ正博監督。

 ミュージカル時代劇。いわゆる、時代劇オペレッタ。こんなに明るくって、生き生きした映画。これが戦前に日本で撮られていたのか。

 へぇ、これが片岡千恵蔵か。女優さんが、かわいい。

  http://www.eigeki.com/obayashi/index.htmlの企画により、http://www.ttcg.jp/human_yurakucho/でのナイト上映。


 トークイベントにて、石上三登志大林宣彦監督が登場。

 1939年、アメリカでは、風と共に去りぬ駅馬車が撮られていたが、どっこい日本だって。駅馬車が撮られている頃に、大林宣彦が産まれ、駅馬車が上映されている頃に、石上三登志が産まれたのだ。

 鴛鴦歌合戦は、この1週間の大林映画特集で、唯一、大林宣彦ではない映画作品。

 その意図は、石上三登志の積年の思い、映画音楽の視点から映画を語る場を持ちたいと言うこと。

 以下、二人の会話から印象に残ったものを、つらつらと。(私の記憶によるものであり、一言一句の以前に、正確性は保証しません。)

 昭和14年の正月映画で、片岡千恵蔵が病気で映画が撮れなくなってしまった。じゃあ、どうしようということになって、それでも千絵蔵で撮るために、セリフは後から当てようといことになり、シナリオは落語から持ってこようと。けれども、そのままでは尺が足りなくなるというので、歌ってもらうことに。顔のことはいいから歌える奴を、とディックミネさんが人をかき集めてくれた。

 こんな制約条件だったのに、映画として爆発した。作ろうと思って作れた映画ではない。また作ろうと思っても作れない。

 鴛鴦歌合戦は、当初全然評価されていなかった。ところが、この20年くらいのうちに、再発見された。一部の人が、大井武蔵野館*1、文芸座地下*2で観て、一体これは何だ、ということになった。

 映画音楽は間を持たせる役割なもの。そんな添え物。

 いいものは形を変えて残っていく、引き継がれていく。

 映画音楽家伊福部昭さんの4、5作目の「社長と女店員」の映画音楽が、伊福部さんの四十数作目の「ゴジラ」になった。

 ゴジラなんて、ゴリラとクジラを一緒にした企画という怪獣映画が始まり。円谷さんを除いて、これがどういうものになるかなんてわからなかった。

 何か企画はないかと言われ、僕(大林)なんか「じゃあ、怪獣 イコ はどう。足が九本あって…」と言ったけどダメだった。でも、喫茶店で、シナリオライター達とそんな風に自由に企画を出し合った。

 「スターウォーズ」。この映画音楽は、基は「バイキング」(?)。オープニングの字幕が宇宙を流れていくのは、西部開拓の大陸横断鉄道の線路の上を字幕が流れるところから。

 「駅馬車」の音楽は、新大陸アメリカに渡る船乗りが演奏した水葬の音楽から。

 ヒッチコックの「鳥」は、映画音楽を使わなかったという点で最高の映画音楽。

 鈴木清順の「肉体の門」について、大林はそこで使われていた音楽のことを批判した。メサイアを使うべきだった、と。「いつか見たドラキュラ」では、メサイアを使っていた。あんなシーンだからこそ、音楽はむしろ高尚なものを。映画は光。音楽も天上から降りてくるもの。

 「24の瞳」は、叙事詩だったはずなのに、映画音楽をすべて同様にしてしまったため叙情詩になってしまった。

 黒澤明は、映画の才能はなかったが、音楽の能力があったから、あれだけの映画を作れた。

 黒澤明は、早坂文雄さんが亡くなった時にもう映画は作れないと言った。

 鴛鴦歌合戦に出た志村喬は、「生きる」のエンディングで、わざと調子を外しながら歌った。

 二本立ての映画。Aパートではなく、Bパート添え物の方が自由にやれて面白い。

 シナリオを読ませてください、という人はダメ。感心できても、感動はできない。呼ばれたんで来ましたっていう人と、映画を作る。右向いて。左向いて。はい、オッケー、オッケー。名作はこれでできる。

 石上三登志さんに、「彼のオートバイ、彼女の島」のナレーションをお願いした時、彼には台本を読んでもらわずに、やってもらった。これがよかった。

 「異人達との夏」では、主人公はエノケンだった。けれども、死んでしまっていなかったから、だから仕方がなくって、片岡鶴太郎にした。音楽は一年前に作っていた。

 「野ゆき山ゆき海辺ゆき」の音楽は、本当は別の人に書いてもらったのだけど、結局、自分で全部書き直してしまった。使われるはずだったその音楽は北野武の映画で使われた。

 「紅の豚」の映画音楽は、「ふたり」から来ている。

 軍艦マーチ。最初は威勢いいが、すぐにメロディアスになってしまう。

 KAN君のコンサートに行ったら世界の国歌集というのがあって、あれは聞いていて怖くなった。

 映画も音楽も、時間芸術。文字に書き残しても、それ自身は文字で表現できない。

 時間芸術である映画と音楽は、競合する。そのため、映画監督と音楽家はぶつかり合い、愛憎半ばすることになる。

 映画にはとりあえず音楽をあてれば、初めからそうであったかのように聞こえてしまう。映画音楽が恐いところは、どんな音楽でもちゃんとはまってしまうところ。

 映画の善し悪しは、映画なんて観なくても、そこにかかっている音楽が映画にはまっているかどうかでわかる*3

 チャップリン無声映画「黄金狂時代」に、いろんな音楽をあてて聞いて観てみた。ジャズ、クラシック、…。一番合ったのは、日本の演歌だった。

 プロはどんな状況でも、その人の力を発揮できる。

*1:筆者私見:今はない映画館。懐かしい。

*2:筆者私見:今はない映画館。懐かしい。二つの映画館の名前を挙げたのは石上。文芸座地下は、確か、後に文芸座2と呼ばれ、その後、文芸座(本館)、文芸座ル・ピリエとともに廃館。そして、新文芸座として、今に名が残っている。

*3:筆者私見:ああ、だから、仲里依紗版「時をかける少女」は、わりかし面白い映画だったのに、面白くなくなってしまったのだ!!