男たちの大和/YAMATO
今更だけど、見てみました。
この映画が持つ文体には、映画の終わり近くまで少々白けっぱなしでいた(理由はすぐ下で述べる)。しかし、大和を降りた帰還兵が亡き戦友の母を訪ねる、というシーンになって、やっとわかった。
大和に関わった当事者たちに膨大な聞き取りを行ったというが、この映画は、そこで聞いた実話を積み上げることで作ったのだ(と思われる)。野良仕事の田んぼの脇で、帰還兵とその息子を亡くした母とが共に突っ伏すところで、ようやくそのことが伝わってきた。
映画を見終わってからでも一つ一つのエピソードを想起して、そのことが現実にあった(のだと思う、映画では脚色添加を含むだろうが)ということに、想像力を膨らませたい。
映画の中に入り込めなかった理由は、映画のセリフ、時代考証について違和感があったから。当時の時代を表す映画としては、あれで大丈夫なのか?
劇中、「モデル」っていう敵性言語を使ってたぞ。
「死にたくない」「死ぬんじゃない」というセリフは多数、「お国のために」というセリフもあった。けれども、「死んで靖国で会おう」を含め、一切、靖国神社のことがなかった!