水からの伝言
シンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」 d:id:hottokei:20060413 の「ニセ科学」入門 菊池誠 講演資料 (pdf)から。
三段飛び論法(cf.三段論法)
- 言葉によって水の結晶形がかわる
– いい言葉なら" 美しい" 結晶
– 「事実」として伝えられる
- 人間の身体の大部分は水
– これは事実
- 体内の水が言葉に反応するので、よい言葉を使いましょう
– 論理の飛躍
「言葉によって水の結晶形がかわる」という説には間髪入れずに大突っ込みを入れたくなる。もしこれがファンタジーにならほほえましい話とは言っておこう。
しかし、知識伝授の場である学校教育において、この説が流通しているという報告があるという。
毎日放送VOICEから。
http://mbs.jp/voice/special/200603/24_2301.shtml
兵庫県西宮市内の小・中学校に聞き取りをしたところ、62校中、14校で実施していたことがわかりました。
学校において教育として「言葉によって水の結晶形がかわる」が言われることはいかがなものだろうか。この説について「どうして」という疑問を先生に持ってはいけないことになる。無茶な話である。
「どうして」という疑問を封じ込めさせた上で信じろと言うことの是非は、使い方による。それが分別未発達のない子どもしつけなら許せるだろう。また、「どうして、サンタクロースは世界の子ども達にプレゼントを配ることができるの?」というのとも次元が違う。
しかし、人間活動を、金科玉条の下で思考停止に陥らせたり、あるいは、問答無用に踏み絵をさせたりするような行為は、人の科学的目を曇らせてしまうことである。
引き続き「ニセ科学」シンポジウム、『「水商売ウォッチング」から見えたもの』 天羽優子 講演資料 から。
お茶の水大学ドメインから「水商売ウォッチング」ウェブサイトが一時期追い出された時代を、私も覚えています。
なぜ批判が必要なのか
✓間違った情報の流通による社会的損失を防ぐ
✓「ニセ科学」と「正当科学」は互いに研究費のパイを奪い合う関係にある
✓まっとうな企業が儲からないと市場が荒れ、消費者も不利益を被る
「科学的なもの」が科学か科学でないのか。この問いかけは人の心の領域に入り込むことでもあり、現実社会ではなかなか実は難しい。「ニセ科学」批判を行うには経済の立場や法律という道具も援用しつつ、考え続ける作業を継続すること。
と、彼女の講演資料から私は理解した。