世界の中心で、愛をさけぶ [VHS](ビデオで鑑賞)

 助けてください。助けてください。こんな安っぽい筋書きの作品を”社会現象”などとちやほやする現代の日本の映画界は、救われるのですか?

 映画はいろいろな見方ができる。例えば、現実に若くして恋人をこの世から喪失した人にとってこの映画の断片を何かの助けにしていくきっかけになるかもしれないので、そういう方の映画の見方までを排除はしません。この点は留保します。あと、山崎努の存在が映画の重みを作っていた、かもしれない(大御所に対して失礼だが、"男樹木希林"と見た)。

 でも、筋書きが破綻しているんです。言い換えるとつじつまが合わず、リアリティを失い、しらける。

 この映画の破綻ぶりの数々は語り尽くされるているかもしれません。その点の主要なものは他に譲ります。私としては、脇道論になるでしょうが、この映画に関して高校時代は明確に1986年とされている点から時代考証について2点述べます。

 一点目。主人公カップルが「好きなもの」を挙げ合うのに、「好きな映画」は双方とも邦画ではなく古典洋画ばっかり、なのにこの映画の中の劇中ラジオへのリクエスト曲など挿入歌は邦楽。趣味趣向が二人とも邦洋分裂していてバランスが取れていない気にさせられる。

 当時、レンタルレコード屋はあっただろうが、レンタルビデオなど十分あっただろうか*1。まして舞台は大都市地域でもないのに、どうしてあそこまで古典洋画を二人がそれぞれ観ることができたのか。邦画を全く抜きに古典洋画をあれだけリストし合うというのは、リアリティに欠ける面がある。

 これは80年代に関する私の思い入れだが、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」は、80年代邦画の大林宣彦尾道三部作に対するオマージュに思えたのだがどうだろう。このことが私の勘違いでないのなら、カップルが挙げ合う好きな映画には大林映画の名を加えるべきでなかったのか。そして、そうすれば、趣味趣向の邦洋バランスも取れたのではないか。

 もう一点。劇中ラジオ番組 MIDNIGHT WAVE の安っぽさが情けなかった(私の勘違いでなかったら、エンドクレジットに東京アナウンス学院の名がなかったか)。

 あのラジオの音質はAMではなく、FMのものだった。NHK FMが25時以降の放送をしたのは90年代半ばからのはラジオ深夜便である。民放FMは、FM香川は88年開局、FM岡山は98年開局であり、深夜に聴取可能なFM局は時代考証的にはなかったのではないか。

 百歩譲ってJFN (Japan FM Network)を聞いてたとしよう。すると、もっと作り込めたはずである。民放FM深夜なら、JFN系”のるそる”があった(実際には86年当時放送があったかは筆者の不明により定かでない)。番組パーソナリティーで活躍していたサンプラザ中野といった方に声の出演を依頼するなど知恵を絞れば、いかにもな深夜放送の雰囲気を演出できたものを。

 ラジオ業界としても、深夜放送が映画のモチーフで出てくるという好機をとらえて、この映画のラジオ番組作成を全面バックアップすべきだった。今の若者にとって、深夜放送とはラジオを聴くのではなくむしろテレビを見る、という生活が多い現状の中で、ラジオに注目を払ってもらうよい宣伝機会になったはず。

*1:内閣府消費動向調査によれば、当時のビデオデッキの普及率も全国で半分に満たない