日本カメラ博物館の運営団体から見えた、法律:輸出検査法
東京の半蔵門、英国大使館の裏手という好立地にある日本カメラ博物館。それを運営している日本カメラ財団って何者なんだろう。
調べだしたら、これが意外だった。
日本カメラ財団の沿革に登場する輸出検査法という言葉を検索すると、
「日本カメラの品質向上と輸出検査」(竹内淳一郎)(日本大学経済学部経済科学研究所経済科学研究所紀要33号(2003年)にぶつかった。
話を総合する子、このようになる。
かつて、日本には、輸出検査法という法律があったのだという。そんな法律、お上による民間への干渉。といって斬って捨てるのは乱暴である。
輸出検査法は、日本の戦後歴史上の役割を果たした。竹内論文によれば、その法律は、日本カメラ業界全体の競争力を育み、生産、輸出、品質の各面で、ドイツ製品に追いつき、追い越すために役立った、効果的な通商産業政策であった、ということがわかる。
戦後日本の外貨獲得、高度成長のため、輸出促進策の一環として、輸出産品の品質確保策として、国がわざわざ法律で輸出品に規制をかける。これは、日本の戦前の繊維産業の発展のビジネスモデルにもさかのぼることができる。
ところで、輸出検査法は、20世紀末に廃止されてしまった。
なぜか。実は、国が課す輸出検査が、企業の品質管理に追い抜かれてしまったのだ。しかも、国が課す輸出検査が、企業の技術革新のスピードに追いつけなくなってしまったのだ。
時代の役割を終えた、という言葉は、こういう場合に使うのだろう。
輸出検査法をカメラ部門で実施してきていた、日本写真機検査協会、日本写真機光学機器検査協会は、組織を改め、こうして今、日本カメラ協会となっている。
日本の産業は、外国を追い抜いて、日本の政府を追い抜いて、その先に、何を目指していくのだろうか。これが、今の私たちが直面している課題である。