テレビのアプリ化により、テレビ受信機はもはや絶滅危惧種。
ものづくりの代表格と評されている日本のテレビ受信機が売れなくなった、儲からなくなった、となげく論調が多い。
けれども、パソコンモニタを、23インチ・フルHDのHDMIモニタに買い換えた私の経験で言わせれば、アホくさい話である。
私は、23インチHDMIモニタの前には、19インチモニタを使っていた。
19インチモニタはまだ使えるけど、処分することにした。今の23インチモニタは、実売価格1万円半ばで買えるし、しかも、本体の重量は軽いし、薄い。液晶モニタアームにかけている負担が減る。
買い換えたおかげで、Windowsの画面が広くなった。また、Windowsミニタワーとは別に使っているMac Book Air の Thunderbolt出力を、アダプタをかましてHDMIに変換して、23インチモニタに映しだして、デュアルモニタ化もした。デジタル・デスクトップの作業スペースが広がる。
居間の32インチのテレビにも、Mac Book Air の Thunderbolt出力をHDMI入力して映し出してみた。
画面はさらに大きくなるし、音もよく視聴でき、迫力が違う。エキサイティングなコンテンツは、32インチテレビで映すといい。
けれども、居間のテレビは、フルHDモニタではない。23インチモニタの方で、フルHDを実現してくれる。
なんなんだろう、この矛盾て。一番大きい画面で、フルHDで楽しめればいいのに。
それで気が付いた。
テレビは、地上デジタルテレビ放送電波を受信するという、数あるアプリの一つになってしまった。
アプリは、他にもある。Youtube、オンライン上で活躍するジャーナリストや個人ブロガーの慧眼、ニコニコ生中継、USTREAM、などなど。これらも、Mac Book AirをHDMI接続することで、地デジテレビの画面に大映しできる。
テレビ・アプリが提供してくれるコンテンツは、ほとんどがクソが多い。いいコンテンツは、落ちぶれてるテレビ以外に、たくさん見つけることができる。
ものづくり国家を標榜する日本は、家電というジャンルの地殻変動、ゲーム・チェンジに直面している。
これまでに、銀塩カメラがデジタルカメラに移行するというゲーム・チェンジが始まっている。
ニコンやキャノン、富士フィルムは、それぞれの発想、展開で、いい移行ができた。眠れるコダックは、破綻した。
ゲームチェンジに手をこまねいていてはならないのだ。
化石燃料自動車も、電気自動車に移行しようとしている。
ソニーのウォークマンに代表されたCassette Music Playerは、アップルのiPhoneに代表されるSilicon App Deviceに、劇的に化けた。iPhoneが恐ろしいのは、電話機も、カーナビも、テレビ受信機も飲み込む勢いがあることだ。
日本のテレビメーカーは、テレビメーカーのままではいられない。
テレビなんて、もはやメディアとして one of mediaに過ぎない。まして、テレビ受信機は、テレビしか映し出せないじゃないか。限界家電に固執するメーカーは、家電界の限界集落である。
悪いことに、日本では、地デジデータ放送*1というオマケモジュールを付ける分、値段は吊り上げられている。
PCは、アジア産が汎用部品で組み立てられたシンプルな作りに対して、日の丸パソコンメーカーが要りもしない付加価値をコテコテに付けて値段をつり上げていた構図を思い出す。
データ放送にしても、ワンセグにしても、世界のテレビメディア産業、あるいは、世界のメディア産業から見たら、どんな風に見えるのだろう。
日本のエレキ業界には、よくよく、考えて欲しい。
ゲームは、ものづくりから、舞台づくりへ、変わっていっているのだ。
アップルがスマートテレビ(スマートTV)を発表するのではないか、ということが、ささやかれている。
テレビは、OS XやiOSデバイスで再生可能なアプリの一つになるのだろう。
デジタルテレビには、アメリカ方式(ATSC)やヨーロッパ方式(DVB-x)、日本方式(ISDB-T)などがある。しかし、集積回路の高速化により、アプリ化テレビの世界では、遅かれ早かれ、方式の違いはソフトウェア無線機的に吸収されて、ボーダレス化、シームレス化するだろう。著作権管理の必要で、リージョンコードに類するものを企画することになるかもしれないが。
スマートテレビは、テレビの問題ではない。テレビアプリが、他のアプリとどう協調、コラボするのか、が問題になる。
最も重要なのは、そんなマルチアプリ環境を実現するプラットフォームを企画し、実現し、ビジネスをすること。