宇宙論、私なりの整理の試み。

 さて、宇宙の説明の中で出てくるストーリー、語り口として、「星には誕生から死までの一生があり、最後の超新星爆発までの間にいろいろな元素が作られる。」というのがよく出てくる。この「宇宙図」でも、そのような基調で作られている。

 私は、このストーリーにどうもはなじめないものを感じている。星の生死のことだけでものすごくダイナミックで、巨視(マクロ)的なのに、元素というミクロなことを同時に語りかけてくることが、よくわからないのである?マクロとミクロとで、頭が、視点が、混乱してしまう。

 だいたいからして、赤色巨星白色矮星なんて、いったいそんなもの、誰が見たことがあるのだ。遠くて熱くて、そんな世界に行けるわけないじゃないか。百歩譲って、その星に行って、実験観察をしてきた人間がいたとしても、どうして元素が生まれるっていうことを見ようなんて思うのか。

 長年の私のそんな気持ち悪さは、そのストーリーに存在する”背景”を理解することで解消された。”背景”を教えてくれたのは、サイモン・シンのビックバンである。

 その背景とは。

 現在の宇宙を満たす物質の元素は、それぞれある割合で存在している。元素のその構成比が現在の姿に至るようになっているのは、ビックバン理論と星の存在を考えることで、説明できる、ということである。理論物理と実験物理とがそれぞれ宇宙のことを議論した末に、つじつまの合う理論が生み出されたのである。すなわち、宇宙創生のビッグバン理論をスタート地点として、水素、ヘリウムが生み出される。しかるのちに、宇宙の地理が集まって形成される星が、炉の役割を果たすことにより、ヘリウム以降の重い元素が生み出される。

 このように考えると、現在の宇宙にある元素の構成割合を、うまく説明できるのである。そしてそれこそが、私が気持ちよく思っていなかった、あのストーリーのことである。

 言い換えると、宇宙に存在する元素の構成割合を出発点とすることで、赤色巨星白色矮星の存在が生み出されたのである。そして、赤色巨星白色矮星も、理論的に予言されているだけでなく、実際に望遠鏡により存在が確認されているのだ。

 このように、理論物理で、また実験物理で、ミクロとマクロが議論された過程が宇宙論なのである。