言葉狩り

 産む機械、健全な状況。

 言葉に関するセンスは必要だが、最近の政治、マスコミは、言葉狩りの引っ張り方は、どんなものだろうか。

 真に議論すべきことが脇に追いやられている気がする。

(1月27日、松江市で開かれた自民県議の後援会の集会)
柳沢厚生労働相発言要旨
 なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15〜50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。
(http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070130-OHT1T00025.htm)

 この要旨の通りに発言していたのならば、ものごとを言い表すのに「機械」、「装置」という言葉をこんなにまで遠慮して使うよりも、むしろそんな表現は最初から使うべきでない。

 腰の引けた態度は、政治家には似合わない。

 なお、私はむしろ、「女性は…子どもを産んでくれない」というところに引っかかる。

 女なら子供を産まなければならないという論理が尻尾をのぞかせている。少子化”対策”を打つべき対象は女性だけ、という態度であるなら、そこにこそ批判(吟味)が必要である。

(2月6日の閣議後の記者会見)
〈柳沢発言要旨〉
 家庭を営み、子どもを育てるということには、人生の喜びがあるんだという意識の面で、自己実現といった広い範囲で、若い人たちがとらえることが必要だと思う。他方、ご当人の若い人たちは、結婚をしたい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけです。そういう若者の健全な希望に、我々がフィットした政策を出していくということが大事だと思っている。
http://www.asahi.com/national/update/0206/TKY200702060241.html

 ここでの柳沢発言は、彼の政治家としての素直な感想(政治的信念というレベルではなく)の表れであろう。それくらいなら、目くじらを立てる話では、私はないと思う。この感想により、子無し夫婦の存在を糾弾しようという態度を読みとろうとするのは、飛躍だと思う。

 もしこれが、「子無し夫婦は健全でないから課税強化を行う」という文脈で、健全さというものが、政策決定の場に価値判断基準の形で持ち込まれるようになったとしたら、たまったものではない。