日本に来て初めてグローバルスタンダードという言葉を聞いた

第154回国会 憲法調査会地方自治に関する調査小委員会 第3号(平成14年5月9日(木曜日))から。

○武山小委員 先ほど外国の例をいろいろお話しいただいたんですけれども、日本がこれから地方分権するに当たって、どこかモデルケースを知りたいと思うのですね。どこか、この国のこういう部分をモデルにしたら日本の地方分権が進むのではないか、また理想とする、日本の社会にマッチするのではないかという国はどこでしょうか。

○神野参考人 これはなかなか難しいのですが、日本はほかの国にはなれませんので、日本として考えることしかないだろうと思います。
 塩崎先生が翻訳されている本で、「税制と民主主義」という本を著したスタインモという世界の超一流の学者が今私のところに来ております*1が、その先生がおっしゃるのには、日本に来て初めてグローバルスタンダードという言葉を聞いた、これは一体、こういう言葉があるというのはびっくりした。世界の国々では、気候も違うし風土もみんな違うはずなので、共通したルールというのはないはずだ、そんなことは設定できないはずなのに、なぜグローバルスタンダード、グローバルスタンダードと言うのかほとんど理解できなかったけれども、どうもよくよく聞いてみるとアメリカンルールを言っているようだというようなお話をされたことがあります。
 私たちは、ほかの国と同じにはなれませんので、状況は確実に変わった、だから分権はしなければならないんだけれども、自分たちの国のどこをどう変えていったらいいのかという目で、自分たちで考えるべきだというふうに思います。
 ただ、自分の姿が一体どういう姿かということを、いつも鏡で見ないと自分の顔がわからないように、自分の姿がどういうことかというのは認識しにくいものですので、参考にできる国ということで挙げさせていただければ、私は、ヨーロッパの国々の方がコミュニティーなどが存在していたという点で日本に割と似ているのではないかと思いまして、いつも私が比較させていただいているのは、スウェーデンとかフランスとかドイツなどのヨーロッパ諸国を比較の対象にさせていただいておりますので、私の個人的な考えでは、我々がどうやって変えていこうかという一つのモデルとして、ヨーロッパが挙げられるのではないかというふうに思います。

*1:スウェン・スタインモ教授 Sven Steinmo コロラド大学ボルダー校政治学部準教授・比較政治センター長 http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/news/2002/020408.html