都合のいいように使い分けられる、"世帯"の概念

 今朝の日経、「変わる世帯、遅れる年金対応 -「共働き」「単身」が増加、多様化に堪える政策必要」及び「介護費、世帯分離の魔法 親子の家計分け「低所得」 」は、秀逸な記事。

 社会保障を考える際のマイクロな基礎単位である"世帯"に関して、包括的、俯瞰的な視点を提供している。

  • 世帯構造の変動に対して、誰も触れたがらない標準世帯

 収入の観点から見た世帯の3大勢力、片働き、共働き、単身。1世代前、20年前に、共働き世帯の数が片働きを上回っている*1。しかるに、年金制度財政検証ベンチマークにされているのは、依然として片働きのまま。

 無職配偶者が年金保険料を納めていない、甘やかされている片働き。それをベンチマークとしていることの不作為に、行政も政治も、ほおっかむりを決め込んでいる。このことについて、共働きは、気が付かないのか、声を上げない。単身は、世帯数の3割を占め、もはや最大勢力に躍り出ている。生涯未婚という層は、一定の分厚さで存在しているのに、無視されたまま。

  • あいまいな住民登録制度の下、世帯分割という偽装行為

 親の介護費用を節約するために実情と乖離することを承知の上で親子の世帯を分けるタブー行為を世帯分離の魔法と名前を付けて紙面にしている。魔法とはおとなしい言葉ではあるが、そのような行為が横行していることを記事にした功績は多としたい。

 福島第一原発事故で、双葉町大熊町浪江町、富岡町、葛尾村には、帰宅困難区域が設定されている。現実的な人の一生の中で、居住することがもはや望めない土地であっても、住民票は、今も残したままでいられる。

 行政サービスの負担と給付の基礎となる登録の曖昧さは、政策立案、制度設計、施策実施の基礎を、弱いものにしている。

 近年、世帯の税額の算出方法に、1人当たり所得の概念を使うフランスの方式に注目する一部の声がある*2

 これはこれで、参考になるのかもしれない。

 しかし、日本の保守的な政治環境の中で、1人当たり所得概念が、学者論壇の世界ではなく、政策の中で真剣に語られるようなパラダイムシフトは、果たして、起きるだろうか。

 年金制度は賦課方式のままであり、積立方式が政治的に検討されたことがこれまでにあったことはない。指摘を受けて久しい専業主婦の103万円、130万円の壁*3の議論は、一日千秋。

 そうしている間に、年金積立の基礎財産は、マクロ経済スライドが発動されることのないまま、どんどん目減りしている。

 GPIFポートフォリオは、時の政権の株価対策のオモチャにされて、債券から株券にいたずらに傾斜していく。市場関係者の暗黙の材料、オカズとして、食われていく。

*1:ここで日経は、数字の出典を「内閣府資料」としか書いていない。具体的な資料名、統計の名前を書かないため、出典を記している意味が損なわれている。

*2:合計特殊出生率が2.00と先進国で最高水準のフランスは世帯を基準に課税している。家族の所得を合算し、1人当たりの所得を算出。これに税率をかけて1人当たり税額を出し、それを合算して世帯の税額をはじく。」(日経記事から)

*3:私はこれは、頭を天井から押さえつける壁ではなく、専業主婦を安住させ保護するための壁、と理解している。